Society music essay 3

【 ポピュラー音楽史 概論(2)】



20世紀初頭 1900〜1920 〜クラッシックから現代のポピュラー音楽への布石〜






 19世紀以前に約3〜400年をかけて徐々にポリフォニー(ハーモニー)としての楽曲が確立したヨーロッパ古典は、19世紀後半頃、すでにそれは感性の高い音楽家にとって飽和状態となっていきます。このあたりで音楽の新しい原理原則を見い出そうとする試みが始まりますが、それがワーグナーのトリスタン和音であり、シェーンベルグの12音技法であり、それは近代、現代の音楽としてその後、発展しますが、もう一方で生まれるガ−シュウィンを代表とする初期のジャズです。クラッシック系譜の近代-現代の楽曲が概して観念的な発展をしたのに対し、ジャズはポピュラリティーの高い音楽として発展している部分がここでは重要なポイントで、殊更に芸術指向では無い人が聴いて美しく響いているハーモニーに聴こえ、尚且つ音楽的に進化している、という点が見逃せません。また当時のジャズは社交界のダンス・ミュージックであり、ミュージカルの楽曲です。

 しかしクラッシックもまた、キリスト教会を中心とするヨーロッパの王侯貴族の社交場での音楽であり、オペラ等の歌劇の楽曲ですから、上流階級の知的趣味である点に於いて変わりは無く、比較をするなら、土地の領有権によって貴族や王侯としての支配者であったヨーロッパに対して、イギリス、アメリカの新興の資産家を沢山生んでいった産業革命以降の近代的な上流階級のスノービッシュな音楽趣味が言わば初期のジャズと言えます。

 ただし、ここでは話しが混乱するので、あえてジャズ発祥のアメリカ南部のニューオリンズの音楽世界は少し置いておいて、そこから都市部へ敷衍しポピュラリティ−を一般に獲得し始めてからのジャズを、『初期のジャズ』としています。当時の南部の状況をミュージシャンの記述的記録だけから推測すると、大きな勘違いをしやすい様に思います。黒人差別の最も激しかった場所で、どの様にあの音楽の原形が発生し、都市部へ流れていったのか…、カリブ海などの周辺地域の音楽状況と混濁している様相等、私達現代の日本人からは想像もできない実状がありますね。録音はおろか譜面にさえ残存していないジャズの本当の原形を、現在の我々が実際に聴く事は不可能です。そういう訳でここでは触れませんが、重要な部分なので類推できることを後に少し触れます。



 土地領有権にしがみついて落ちぶれてゆく貴族階級と、新しい技術の生産業によって急激な成り金になる新興企業家や資産家、伝統保守と新興先鋭、カトリックとプロテスタント、そんな対比がこれらを取り巻く人種に見隠れします。こんな構図ができたのも、産業革命を原因とし、生産の効率化によって近代的コングロマリット型の大企業の形が生まれゆく時代だからこそ、と言えます。これは今で言う旧態の産業革命の時代の様な生産業系企業と、IT関連の独占的企業家、という対比にそれは何処か似ています。この様に20世紀の音楽全般を俯瞰するには、20世紀全般の出来事を眺めるとその全体像がよく見えます。

 後に詳しく記述しますが、黒人の公民権運動や生活様態の変化と、ブルースやジャズの興隆は確実に関連しており、その観点無しに、その音楽の本質も見えて来ない訳です。

 私はレッスンでひたすら音楽技術の部分を徹底して教えていますが、こういう背景への知識や音楽の触れ方までは、短い時間の個人レッスンでは伝えずらく、ともすると単に現代に生きている自分の価値観だけから、その音楽を情感で聴いてしまう事に成りがちです。その音楽の本質に、時間や時代の塵を払いどけて触れるには、音楽リスナーとしてのある程度の教養、修練、知性が必要です。

 また音楽構造の成立ちには、それぞれそうなるべき欲求、力学が原点には存在し、それがその固有の音楽の意味そのものなのですが、その意味を知らずに、または無視して、ただ表面を模倣しても本質が掴めない為、どうもニセモノ臭い、核心から遠い、浅はかなものや奇妙なものに成りがちです。

 例にとると、先の12音技法にはキリスト教の社会倫理や規範へのアンチテーゼとしての神秘主義の世界があり、ジャズの複雑な音楽構造には当時の先端的モダニズムがあり、ギリシア系譜の音階では割り切れないブルースのブルーノートには、白人社会や文化からはみ出している、そもそも存在したネイティブな民族音楽の感性があり…、と言う具合に、片鱗のフレーズ一つ一つにさえ、何を描こうとしたのか?という表現主義的な意味が明確に存在します。ただ表面の形の模倣だけをしていると、これが全く掴めない。そしてこれをきちんと教える媒体もあまり世の中には見受けられないのです。その理由の一つに、おそらく学説としての証明が難しく伝承的に伝わる部分が多いからなのでしょう。

 しかしその様な濃厚な意味を共有して音楽に触れているリスナーにとって、その意味を欠いた奇妙な模倣の音楽はまるで聴くに耐えない(バッタものの様な奇妙な音楽を、そういうリスナーが心から感情を込めて聴けるでしょうか?)。これが日本の音楽産業がこれだけ肥大化しても、未だに世界にまるで疎通ができてない最大の理由だと私は考えています。




 少し反れましたが、纏めると19世紀後半から20世紀初頭の流れとは、底流にはルネッサンス以降のキリスト教を中心とする文化へのアンチテーゼであり、それが一神教に拮抗する多神教に憧れたワーグナーであったり、神秘主義者としてのシェーンベルグですが、この様な感覚が、次の20世紀に起こる文化、政治、思想などを含む様々なムーブメントや歴史の大きな動乱にもつながる事に成ります。例えば60年代のアメリカ西海岸のカウンタカルチャーは、まさにヨーロッパの文化、政治、宗教、などの重厚な層を思いっきり放り投げる快楽でした。

 この様に16世紀のルネッサンス〜バロックの時代に、メロディーと簡単な通奏低音によるモノフォニーの時代から複雑なハーモニーによるポリフォニーの時代に進化し、300年かけた後に更にそれが進化し、その過程でキリスト教を中心としながらもそれに如何に拮抗するか?、ということが時代時代の音楽家を含む先端的な芸術家全般のモチベーションでしたが、現在流行っている『ダ・ヴィンチ・コード』などは、そういったキリスト教社会と芸術の擦れ違いの綾をフィクションながらよく描いているのかも知れません。

 モーツァルトだろうと、ベートーベンだろうと、真にクリエティブな芸術家の嗜好は、キリスト教社会に寄り添いつつも実際には拮抗しており、しかもそれは当時の社会情勢上の理由から、巧妙に隠蔽されながら作品化されています。20世紀はそれがもっと大っぴらに、楽器、テクノロジー、レコードを含むメディアの進化を含んでより拡大していった時代です。すなわち一般に言うポピュラー音楽とは、『世俗』『大衆』という意味を越えて人間の生活全般の営みの変化がその音楽構造を与え、それと寄り添った音楽全般を指している言えます。しかし逆説的にはそれほどにキリスト教という社会的重力が、宗教音痴の現代日本人が考える以上に重いということも重要です。



 初期のジャズに戻りますが、一般に『ジャズ』というと多くの日本人にとってチャ−リー・パーカー以降のモダン・ジャズを指しています。しかし重要なのは初期のジャズがダンス・ミュージックであると言うことです。因みに90年代以降、ジャズという言葉を若者が口にする時、それはロンドン系のクラブ・ミュージックとしてのジャズであったり、ラウンジリザ−スの様な音楽を指すのですが、変に懲り固まったオヤジ趣味のジャズよりも、この観点からすると、それは寧ろ音楽の本質としてずぅ〜〜〜っと正しいですね(笑)。

 そして演奏される楽曲-スタンダード・ソング、それは映画音楽やミュージカルのヒットソングのアメリカン・ポピュラー・ソングであると言う事。ジャズに触れてみよう‥と考える一般的日本人にとって、スタンダード・ソングが自分の日常生活でスタンダードであった体験を我々は共有していない為に、こんな極単純な視点さえも、全く無い場合が多いのです。日本の著名専門誌等を眺めても、この様な観点で中心軸が奇妙にズレています。所謂ヒットチャートに登る種類の音楽というと、純粋なジャズ肌のファンからすると何処か軽薄に感じる感覚はよくあると思いますが、しかめっ面をしつつ素材として演奏しているスタンダードこそ、実にポピュラリティの高いヒット・ソングに過ぎない訳です。抽象性が高くアーティスティックなジャズに成る程、実にアメリカン・ポピュラリズムのその陰翳がより浮き彫りに成る気がします。我々日本人の演奏するジャズにもしも奇妙さがあるならば、きっとこの点に尽きるでしょう。



 ジャズに限らずどのジャンルの音楽でも残存する、貧しい頃の日本が病的に抱えていたこの種のズレの矯正をしない限り、英語圏を中心とする世界の中で、小さな島の中で奇妙にズレたバッタものの音楽をやりつづける特殊な人達…、という格から我々が脱する事は未だに難しい事でしょう。



 しかし幸い現在の日本では、世界中の音源が非常に簡単に入手できます。音楽消費の物量では既に世界の最先端かも知れません。ロンドンでもニューヨークでもこういう雑多で貪欲な消費の仕方は、あまりしていない様に思います。(変な喩えですが、デパ地下の食材の豊富さは、世界でも類を見ない物量と多ジャンルであるのにそれはなんだか似ています。)
 こういう貪欲が極まった場所に何かがある、歴史を眺めてみてもそれが事実だ、と個人的には信じているので、楽観視するとこの調子で日本もいつかきっと世界を制することでしょう。この小さなページもそれに少しは役立てば光栄です。



 ここまで簡単に纏めて捕捉すると、

 和声(ハーモニー)が音楽に発生してから300年を経た20世紀初頭頃に、産業革命ととも音楽環境も変化し、音楽構造も従来の調性概念に縛られた世界からの離脱が徐々に始まりました。近代、現代の音楽は観念としての音楽世界を模索し、結果的に難解な音楽構造を持ちはじめる一方、ジャズは黒人音楽から吸収していった反西欧的要素を洗練させ、従来の3度和音の構造により変化を加えた状態の音楽を自然に発生させていきます。
 それと再び強調しますが、初期のジャズは本来的にはダンス・ミュージック、という点。スウィング感というリズム感覚がハーモニー以上にまず重視されるのも、この理由にあります。リズムのドライブ感の無いジャズでは音楽の意味が無い訳です。
 この点が、近代、現代の音楽から、大きく袂を分かつポイントでもあります。現在のジャズクラブでよく見られる光景の様に、座り込んで腕を組んでじぃ〜っと聴く様な音楽ではそもそも無い訳です。20世紀半ばに登場するジャズの帝王マイルス・デイビスが活動の中期以降にファンク・サウンドに変貌し、文字取りのダンス・ミュージックに変化したのも、この理由からよく理解できます。さすがにマイルスはジャズという固有の音楽の本質、核心、意味をど真ん中で見抜いていた、という事です。

 次回は20世紀初頭から1930年代、1940年代頃までの現在のポピュラー音楽の礎の部分を、今度はより具体的な音源とその音楽構造の紹介とともに。













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